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治水神社(ちすいじんじゃ)/海津市海津町油島

海津市にある治水神社は、宝暦治水工事(1754~1755年)の責任者、薩摩藩家老 平田靱負(ひらたゆきえ)を祭神として、昭和13年に地元有志によって創建された神社。この治水工事は現在も語り継がれる偉業とされ、揖斐川と長良川の背割堤に続く松並木「千本松原」は、治水工事の完成後、薩摩義士によって植えられたものと言われています。毎年4月25日と10月25日には、平田靱負と薩摩藩士の功績と供養の為の慰霊祭が行なわれています。

出典:http://www.gifu-jinjacho.jp/

ご利益

水難除け、家内安全、交通安全

主祭神

平田靭負(ひらたゆきえ)
薩摩義士(さつまぎし)
美濃之義士(みののぎし)

由緒由来

この地方は木曽三川に囲まれ、土地も1m余り川床より低く、毎年のように絶えず水害にみまわれていた。氾濫するたび治水工事の嘆願が続き、ついに徳川幕府は宝暦3年12月25日、薩摩藩に治水工事の助力を命じる。当時借財に苦しんでいた薩摩藩ではあったが、藩の存亡を懸けその命に従うこととなった。総奉行に平田靱負正輔を任じ、年が明けて1月21日江戸より、次いで29日には薩摩より、総勢947名を出発させた。
途中、大阪で工事費を調達するなどし、2月27日に四の手に別れて工事に着手。しかし難工事の連続で、度重なる洪水に工事費もはるかに超過、また幕府側の迫害や侮辱、工事の邪魔等もあり、耐えかね自決した者53名、疫病の流行で病没33名にも及んだ。
総奉行平田靱負正輔は、藩主重年公に工事竣工の報告を副奉行に託し、全責任を負って宝暦5年5月25日享年52才で自決、この世を去った。
幕府の命令とは云え300里も離れた異郷の地を、水害の苦しみから救った、薩摩の人達の血と汗と涙の結晶は、今もこの地方に語り継がれ、偉業として称えられる大治水事業であった。この神社はその時亡くなられた80余名の方々をお祀りし、感謝をささげ、願望成就の神として嵩敬されている。

名称 治水神社(ちすいじんじゃ)
住所 海津市海津町油島
お問い合わせ 0584-54-5928

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